童謡の誕生 大正期の童謡運動

イラスト/童謡の誕生 大正期の童謡運動

今回のテーマは、「童謡の誕生」です。

「童謡」と呼ばれるジャンルの曲がいつ成立したのかを解説します。

童謡の誕生は、大正時代となります。

1918年(大正7年)に「赤い鳥」という児童文芸雑誌が創刊されました。

代表者は、鈴木三重吉(みえきち)で、三重吉は、北原白秋の協力を得て、「赤い鳥」を通し、児童文学の発展に力をつくします。

子どもの美しい空想や感情を育てる詩と歌を創作する、大正の一連のこの動きを「大正期の童謡運動」といいます。
この運動は、自由主義を求める動きである大正デモクラシーの影響下にあり、歌詞が難解な唱歌に対する創作運動でもありました。

一般に呼ばれる「童謡」とは、この童謡運動及びこれ以後に作られた「子どものための歌曲」と定義することができます。

鈴木三重吉(1882年〜1936年)は、明治〜大正〜昭和初期の小説家で、夏目漱石の門下となり、1916年以降、児童文学に転じました。

北原白秋(1884年〜1942年)は、大正〜昭和に活躍した詩人で、童謡詩のみならず、多くの詩、短歌を発表しています。

「赤い鳥」は、軍国主義の足音が聞こえてくる中、1929年(昭和4年)に休刊、1936年(昭和11年)に廃刊となりましたが、当時の童謡は、今でも多くの人々に歌い継がれています。

童謡運動の間に世に出た童謡として、
西条八十の「かなりや」
北原白秋の「赤い鳥小鳥」「里ごころ」
野口雨情の「青い眼の人形」「十五夜お月さん」「七つの子」
などがあります。

では、これらの童謡を聞いてください。

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