フォスターの生涯とその歌曲 その2 (18歳から24歳まで)

18歳、楽譜が出版される

18歳になったフォスターは、「恋人よ窓を開け」の出版を出版社にもちかけました。
出版社から返事が来て、ついに、フォスターの曲が楽譜として出版されることになったのです。
そして、フォスターは、作曲家として生計をたてる気持ちを強くしたのでした。

ところで、楽譜が初めて出版されたころ、フォスターは、男性合唱団を作っていました。フォスターは、この合唱団のためにオリジナル曲をたくさん作りました。

その曲が後の大ヒットになります。

「おおスザンナ」「ルイジアナ美人」「ネッド伯父さん」などです。
これらの曲は、黒人奴隷を題材にしたものです。ミンストレルョーは、このころもさかんに演じられていました。

そして、1848年、フォスター22歳の時、「おおスザンナ」の楽譜が出版され、たいへんな勢いで売れました。フォスターの作曲家としての第一歩が始まったのです。
しかし、安い契約で楽譜を売ったため、出版者をもうけさせるために終わってしまいました。

おおスザンナ  ⇒  歌詞掲載ページ Oh ! Susanna

ルイジアナ美人  ⇒  歌詞掲載ページ Lou'siana Belle

ネッド伯父さん  ⇒  歌詞掲載ページ Old Uncle Ned

24歳、フォスター結婚

1850年、24歳の時、フォスターは、交際を続けていた、美しい金髪の女性、ジェーン・マクドエルと結婚します。ジェーンは、5歳年下の19歳でした。フォスターは、ジェニーという名のつく曲を作っていますが、これらは、妻のジェーンをイメージして作曲されたものです。

1854年、28歳の時に発表される「金髪のジェニー」がその代表作です。

金髪のジェニー  ⇒  歌詞掲載ページ Jeanie with the Light Brown Hair

二人の間に、マリアンという女の子が生まれます。ジェーン、そして、マリアンと共に、フォスターの幸せな生活が続きます。

この中、フォスターは、ミンストレルショーの歌曲を次々と書いていきました。
「草競馬」「ドリー・デイ」などがあります。]

フォスターの歌は、楽譜の出版と共に、アメリカ中に広まっていきました。

草競馬  ⇒  歌詞掲載ページ Camptown Races

ドリー・デー  ⇒  歌詞掲載ページ Dolly Day

<<「フォスターの生涯その1」へ戻る   「フォスターの生涯その3」へ進む>>

トップページ